災害論

大西 徹 著

災害と日本人

 我が国は世界でも有数の災害国であり、昔から、地震、津波、台風などさまざまな災害によって、多くの人命と財産が失われてきた。こうした災害にであったとき、被災者はもとより、直接間接にこれを見聞きした人々も、さまざまな感慨にとらわれたに違いない。災害そのものは自然現象であり、単なる物質的エネルギーにすぎない。しかし、災害に襲われ、最愛の家族や貴重な財産を失った被災者は、悲嘆の涙にくれ、なぜ自分がこのような悲劇に見舞われなければならないのか、これからどう生きていけばいいのかを、深刻に考えざるをえなかった。また、災害の惨状を目撃したり伝聞した人々の脳裏にも、そうした大災害がなぜ、あの日、あの時、あの場所で発生し、大量の死者をだしてしまったのか、なぜ彼らは瓦礫の下で、あるいは猛火の中で無残な死を遂げねばならなかったのか、というおもいがよぎったことであろう。そして、災害とそこにおける人間の生や死は、あるいは人がもって生まれた運命の定めとして、あるいは人々の栄耀栄華のはかなさとして、さまざまな形で意味づけられていったのである。

 大災害のたびに繰り返されるこのような経験を通じて、われわれ日本人のなかには、災害についてのある共通の観念が形成されてきた。そしてそれは、日本人がもっている宗教観や自然観とも、深く関わりながら形づくられてきたと考えられる。

 ところで、われわれ日本人がもっている災害観の一方の極には、災害は自然現象であり、結局のところ科学技術によってこれを克服できるという、いはゆる「科学的災害観」がある。現代社会では、この一見すると合理的ではあるが、その実かなり楽観的な災害観こそ、多くの人々が受け入れているものであろう。しかし、このような考え方に対置するものとして、日本人には独特の「災害観」が存在するということが、何人かの自然科学者や哲学者によって、いままでしばしば指摘されてきたことも事実である。では、この日本人に独特の災害観とはどんなものだろうか。以下、特に「関東大震災」直後におびただしく刊行された文献資料を素材にして、これをみていきたいと思う。

天譴論

 まず、日本人の災害観の第一のタイプとして、天譴論がある。 天譴論とは、「天が人間を罰するために災害を起こす」という思想、つまり災害とは天が人間に下した罰なのだ、という観念である。

 もともと天譴論は儒教に基づく思想であり、すでに奈良時代から存在していたといわれる。その原義は、災害(地震)を、「王道に背いた為政者に対する天の警告」とみなす思想であった。関東大震災直後、この天譴論をしきりに喧伝したのは、実業家の渋沢栄一やキリスト者の内村鑑三などであったが、ここではその原義を離れて、「腐敗堕落した人間社会一般に対する天の戒め」と言う意味で用いられている。たとえば渋沢栄一は、震災直後に新聞紙上で、「今回の震災は未曾有の天災たると同時に天譴である。維新以来東京は政治経済其の他全国の中心となって我が国は発達してきたが、近来政治界は犬猫の争闘場と化し、経済界亦商道地に委し、風教の廃は有島事件の如きを賛美するに至ったから此大災決して偶然でない」と述べている。また内村鑑三も、ある婦人雑誌のなかで、この渋沢栄一の言を引用しながら、「実に然りであります。有島事件は風教堕落の絶下でありました。東京市民の霊魂は、其財産と肉体が滅びる前に既に滅びて居たのであります。斯かる市民に斯かる天災が臨んで、それが天譴又は天罰として感ぜらるるは当然であります」ときわめて強い調子で断言しているのである。

 ここに天譴論の典型が表現されている。関東大震災は東京市民の堕落のために生じたのであり、それは市民への天罰にほかならないというのである。なお、この引用に出てくる「有島事件」とは、作家の有島武郎が婦人公論記者の波多野秋子と心中した事件を指している。この事件は当時の世相をにぎわし、震災直前の七月前半の世間の話題を独占した、大きなスキャンダルであった。

 震災前には、大正デモクラシーという光の影に、第一次世界大戦の戦争景気によって生まれた成り金たちの目にあまる贅沢三昧や物価を高騰させ、結局「米騒動」まで生み出すにいたった資本家や悪徳商人の横暴といった、良識ある人々みるとまことにめにあまる社会状況があった。こうした状況を日本の廃れと感じ、苦々しい重いで眺めていた人も少なくなかったはずである。このような人々が、あるいは災害を天罰と考える天譴論を唱え、あるいはこれに大きな共感を覚えたことは容易に想像できる。

 関東大震災において出現した天譴論は、災害を、堕落した人間に対する天罰とみなす思想であったが、それはいったい誰に対する天罰だったのだろうか。

 当然ではあるが、天譴論の多くは、これを世人一般、あるいは被災者一般への天罰とみなしている。完全に品行方正な人など考え様もないし、弱肉強食の世間に生きる以上、誰でも多少の後ろめたさを持っているはずであるから、こうした論理も十分に説得力があったのである。

 しかし一方、こうした一般的非難としてではなく、いままで決して品行方正でなかった自分自身に対する、ややマゾヒスティックな自己批判として天譴をとらえた人も、ごく少数であったが見いだされる。震災直後、東京のある富豪は、なんだか神様のお叱りを受けた気がするといったそうだし、神様から頭にゴツンと一撃を加えられた心持ちがする、といった人もあるそうである。地震を過去の自分の行為に対する一種の制裁と考えている点において、かれらには共通の心理がみられる。

 また、震災を成り金や資本家階級に対する天譴と考え、つい昨日までおおいばりだった彼らが一夜にして無一文になった事実に「因果応報」を感じる人もいた。そこには、日ごろから反感を抱いていた人々が没落したことにカタルシスを感じるという、他罰的でサディスティックな心理を読み取ることができる。大震災は、貧富の差を一時的になくしてしまう。災害後は、金銭も名誉も地位も関係なく、被災者には、ただなまみの肉体だけが残される。昨日まで他人をアゴで使っていた資本家も、今日からは食を得るため、額に汗して働かなければならない。生き残った全ての人々が、新しく無産者として、ゼロから出発するわけである。よって震災のためいっさいの家財を失うことによって生じた「平等状態」に、一種の爽快さを感じた人々も少なくなかったようである。

 以上のように、天譴論を支える心理は、あるときはマゾヒスティックな自己批判となり、あるときには他者へのサディスティックな非難となる。いずれにしても、彼らが震災を、自分あるいは他人の過去の所業への罰、とみなしたことには変わりがない。

 しかし天譴論のなかには、もう一つ、震災を過去の所業への罰としてではなく、むしろ将来への試練と考えるものもあった。

 天譴論は、災害という自然現象の背後に、「天意」を見るものであった。そもそも、「天」とは本来残酷なものではなく、決して人間を見捨てるものではない。それゆえ震災は、おごれるものへの天罰には違いないが、同時に、人間を真面目な生活に戻らせるための試練でのあるはずだ。ここにおいて天譴論は、「天が堕落した社会を改善するために災害を起してくれたのだ」という、「天恵論」あるいは「天佑論」と結びつく。ここでは天は、人間の断罪者であるとともに救済者でもある、とみなされている。

運命論

 日本人のもつ第二の災害観は、「運命論」である。

 運命論とは、自然のもたらす災害と、そこにおける人間の生や死を避けられない運命と考え、これを甘受する思想を意味している。

過去の震災において生と死が織りなす数々のエピソードは、人々をして、人間の運命の不思議さを考えさせるに十分だっただろうと考えられる。一方では、生への限りない執着を示しながら、結局悲惨な死を遂げた人々がいる。そして他方では、死の淵をのぞきながら、からくも生き残った人々がいる。これらの人々にとって、生と死はまったく紙一重であった。避難の途中で風向きが変わったかどうかというわずかな条件の変化や、岐路にたって右に行くか左に行くかというほんのささいな決断の差がかれらの生死を分け、その結果、「悲運」と「幸運」という、埋めようもない絶対的な相違をうみだしたのである。 

 では、なぜ、ある人々はふたたび生命の喜びを謳歌することができ、ある人々は無惨な死を味わったのだろうか。これは単なる偶然であろうか。いや、むしろそれこそ必然であり、そうなることが彼らのもって生まれた運命ではないだろうか。被害を直接目撃した人も、あるいはこれを伝聞した人も、その多くがこのような疑問を発した。彼らは、この悲劇の「社会的意味」を「人間の運命」として考えずにはいられなかったのである。

 ところで災害観としての運命論には、大きな「心理的効用」がある。それは、運命論によって災害の悲劇生を心理的に減殺できる、という効用である。災害は、何にもまして大切な家族や、営々として築いた財産を、理不尽尼、しかも一瞬にして奪い去っていく。これは、被災者にとって大きな悲劇に違いない。彼らが絶望的になり、我が身の不幸を嘆くのはごく当然のことである。しかし運命論は、この絶望を緩和してくれるのである。泣き言を繰り返しても仕方がない、これは逃れられない運命なのだ。世間にはもっとひどい目にあって死んでしまった人さえ多いではないか。これが自分の運命ならば、ただじっと耐え忍び、あきらめるしかないではないか。という、合理化と言うべき心理が働いているのだろう。さらに天災論にもこういった心理があるのでをないだろうか。阪神大震災の災害でも、マスコミの論調では「政府の対応が遅い。行政の対応が悪い」という議論がでてきたが、市民レベルでは、「行政を責めても仕方がない。行政も一生懸命やったけれど、災害のちからが余りにも大きいため、手の施しようがなかった」という。つまり「災害は天災で、人間の力をはるかに超えている。人間の力をはるかに超えている天災なら、諦めるしかない」という意識がある。

 この心理は、一方では、災害からの回復を促進する機能を果たす。災害の悲劇を運命と割り切ることが、生活再建へのバネになるわけだ。

 しかし他方、この心理的効用は、被災者のなかに、災害に対する「諦念」や「忘却癖」をも生み出していく。つまり、運命論をもつことによって、被災者は、災害をただ単に過去の不運な出来事と考え、その悲惨な経験を有効にいかすことなく、これをたちまち忘れ去ってしまうのである。

 諦念とは、災害は人間の手ではどうにもならないという感情であり、また地震や台風のような自然の破壊力に対して、ただこれを耐え忍び、あきらめるほかないという心理である。災害を運命として諦める、他人と比較して諦める、天災だと観念して諦める。こうしたいろいろな理由で、結局自分の状況を甘受してしまう。

 また、忘却癖とは、災害の経験を将来の防災に生かすことなく、これを忘れ去ってしまう態度である。

 災害直後、多くの人々は被災地の復旧は迅速に行われるべきだし、次は本当に災害に強い防災都市を作ろうと考えるはずなのだが、天災論とか運命論をもっていると、それができにくい。つまり、結局災害は運命なのだという意識を持っていると、「二度とこういう苦しみを起こさないようにしよう。この悲劇を二度と繰り返さないでおこう」という、強い決意に結びつきにくいのである。

 要するに、運命論は、被災者の心理的打撃や、災害の悲劇性を緩和するという効用をもつ一方で、災害に対する諦念と、忘却癖を生み出す作用ももっているのである。もちろん、この両者は互いに関連している。すなわち、災害への諦念は、逃れがたい運命の強大な力を認識することから生まれるのであるし、また忘却癖は、災害を忘れることによって、その悲劇性を心理的に減殺する効果をもつのだ、だともいえるであろう。 

 阪神大震災でもよく引き合いだされたが、アメリカのサンフランシスコは1906年に大地震に見舞われた。そして、それ以降消防水利が非常にしっかりした街づくりをしたといわれている。また、ロンドンもパン屋さんの失態から街中が燃えたというロンドン大火があったが、その後、ロンドンは安全都市づくりをしている。

 けれども運命論に支配されていると、そういうことができないのではないだろうか。原因を究明し、二度と災害が起こらないようにしようという思考ではなく、天災と諦めて運命を甘受するためである。こういう心理はいまだに我々日本人の中に根づいているのではないだろうか。そして、こういった心理を克服していくことがこれからの課題になってくるのではないだろうか。

日本人の自然観

 今まで述べてきた天譴論、運命論といった災害観は、単なる物理現象にすぎない自然災害にさまざまな「意味」を与えるものであった。

 こうした災害観は、なぜ、日本人の心情に強く訴えてきたのだろうか。

 これらの災害観は、長い歴史を通じて定着しまた多くの日本人共有している、独特の「自然観」に深く関わっているところがあるのではないだろうか。

 しばしば言われてきたように、日本の自然は、一面では四季を通じて変化に富み、また至る所に景勝の地をそなえている。しかし他面では、我が国には地震、津波、台風などの被害が多く、ときには自然は、人々の生命を容赦なく奪い取る圧倒的な破壊力を示してきた。優美さの点でも残酷さの点でも、日本ほど自然がきわだっている国は、世界でも珍しいのではないだろうか。

 こうした自然の特性は、日本人の心の中に独特の自然観を形成せずにはおかなかった。

 日本人の自然観の特徴は、なによりもまず、自然と人間の関係を極めて密接なものとみなすことにあるといえよう。しかしもちろん、日本人における自然と人間の関係はきわめて一方的であり、「偉大な自然」と「卑小な人間」という対比が、つねにそこに存在している。

これをもう少し細かくみると、自然と人間の関係パターンは、およそ三つに分けることが出来る。

第一は、自然の優美さに着目し、これを人間の心を慰める「救済者」とみなす自然観である。古来、多くの歌人や詩人が、こうした自然美を愛し、おおくの文学作品を生んできたのは周知の事実である。しかしこうした自然観は、なにも歌人や詩人ばかりではなく、市井の一般人にも共通してみられるものである。

たとえば、明治・大正期の指導的国文学者だった芳賀矢一は、日本人の国民性の一つとして、「草水を愛し自然を喜ぶ」特性をあげ、次のように述べている。

芳賀によれば、日本人ほど詩人的な国民はいない。このことは、和歌や俳句のことを考えれば容易に理解できよう。どんな庶民でも和歌や俳句をつくる。下手の横好きは、至る所にいるのである。そして、花見遊山のときは句をひねって一興とする。花見や雪見や月見といい、また春は花、秋は紅葉と、至る所にいる詩人達はまことに忙しい。しかも、悪事をはたらいて死刑に処せられる極悪人でさえ、死に望んでは一首をものするではないか。こんな例は、おそらくどこにもないであろう。

そして、日本人の自然観の第二パターンは、第一のものとは逆に、自然の残酷さを強調し、これを人間と社会の「断罪者」とみなすものである。この自然観は、災害を人間への天罰とみなす天譴論に典型的にみられるものであるが、震災における理不尽な自然力を慨嘆している、菊池寛の次のような言葉もその一例と考えられる。

「自然の大きい破壊の力を見た。自然が人間に少しでも好意を持っていると云ふやうな考へ方が、うそだと云ふことを、つくづく知った・・・・・自然の前には、悪人も善人もない、ただ滅茶苦茶だ。今更人間の無力を感じて茫然たる外はない。いろいろな口実を付けて、自然の暴力を認めまいとするのは、人間の負け惜しみにすぎない。」

第三のパターンは、優美さと残酷さという自然の二面性に着目し、これを人間の「救済者」であるとともに「断罪者」である、とみなす自然観である。

たとえば、寺田寅彦は、「動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えてきた国民とそうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなり大きな懸隔を示しても不思議はない」と前置きして、「このように恐ろしい地殻活動の現象はしかし過去において日本の複雑な景観の美を作り上げる原動力となった」と述べ、さらに「われらの郷土日本において 脚下の大地は一方においては深い慈愛をもってわれわれを保育する<母なる大地>であると同時に、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとにかく遊惰に流れやすい心を引き締める<厳父>としての役割をも勤めるのである」と、日本の自然の二面性を強調している。

 以上のように、自然と人間の関係を強調する日本的自然観のなかにも、その関係の性質については、上の三つのパターンを区別することができる。

 しかしいずれにしても、これらすべての基底には、自然を絶対化し、ひるがえって人間の無力さを自覚する態度が、共通に流れているのである。ある意味では、日本人の自然に対する態度は、幼児の両親に対する態度と似ているといえよう。それは、自然を対象化しこれを征服しようとする態度ではなく、むしろ自然と一体になりこれに服従しようとする態度である。これこそ、日本人の自然観の中核といえるのではなかろうか。

 こうした自然観が、日本人の災害観と深く関わっていることは明白であろう。

 特に、災害を人間に対する天の戒めとみなす天譴論や、災害時にひたすら神仏に祈る精神論のなかには、自然の破壊力への恐れや、自然の偉大さに対する無力感が色濃く反映されていると考えられる。関東大震災もその例外ではなく、前述のように、多くの人々が天譴論や精神論を唱えたが、同時にまた、彼らの少なからぬ部分が上のような自然観を吐露しているのである。

災害と教育

 ここであげた天譴論、運命論といった災害観は、災害多発国に住むわれわれ日本人が、多くの災害との遭遇の中から生み出してきた観念であり、日本人の自然観と深く関わっているのであった。

 前述のように、これら災害観は、一方では、災害による悲劇を心理的に減殺し、復旧への意欲を促進するといったプラスの機能をもっていると考えられる。しかし他方、それが防災・減災を目指す合理的な努力の阻害要因となることも、また事実なのである。

現在、国や地方自治体の防災機関は、住民の防災意識を高揚させるための「防災キャンペーン」を実施している。しかし、こうしたキャンペーンは必ずしも著しい成果があがっているとは思われない。とはいっても、これは必ずしも、国や地方自治体の努力が不足している事を意味しているのではない。

 一般に、災害に対する知識や関心を高め、防災行動を促進するといったたぐいの「啓蒙キャンペーン」には大きな難点がある。例えば、キャンペーンの研究の分野には「知識のギャップ理論」と呼ばれるものがこの理論はそのことをはっきりと指摘している。

この理論によれば、啓蒙キャンペーンを実施すればするほど、住民のあいだの知識のギャップは広がっていくという。つまりキャンペーンに接触する人々は、もともとその事柄に関心があり知識がある人々であって、キャンペーンをすればするほど、そうした人々の知識は増加していく。ところが、キャンペーンが本来目標にしている、知識も関心もない人々は、こうしたキャンペーンを無視する事がきわめて多いのである。その結果、キャンペーンを重ねるにつれて、知識層と無恥識層とのあいだに以前からあった知識のギャップは、ますます大きくなっていくというわけである。もともと啓蒙キャンペーンには、こうした難点が存在しているのである。

 ところが、防災キャンペーンは、こういう難点に加えて、防災の努力を阻害するような災害観の存在があるため、二重の意味で難しいと言わねばならない。しかも、災害観は日本人の精神の根底にある自然観や宗教観と密接に結びついているわけだから、これを完全に払拭することは相当に困難と考えられる。

 しかし、毎年災害によって多数の人的被害と膨大な物的被害が生じている状況のもとでは、防災対策の推進はきわめて重要であり、また、防災キャンペーンを通じて住民の防災意識を向上させることは、そうした防災対策の大きな目的の一つといえよう。

 そこで、学校教育のなかで災害の分野を取り扱い、より多くの人が災害に対する知識と考え方を身につけられるようにする必要が出てくるのではないだろうか。そして、少しずつでも人々の知識のギャップを埋めながら、防災意識を高めていくことが第一の課題であろう。

 

《参考文献》

『新版 災害と日本人 巨大地震の社会心理』 廣井 脩 時事通信社