情報科学概論 講義レジュメ

「災害研究の視点」

           


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災害関係の試験研究機関


                                                  担当 長井 務
(1)講義要旨
 現代の災害と災害科学についての総論と、災害別の各論について解説し、情報化
社会に於ける災害研究のあり方について検討し、学際的研究の必要性を強調する。
 我が国に於ける災害の歴史は、常に、弱者に強く現出する形で繰り返されてきた
。時の為政者は対処療法的な施策を繰り返し、弱者の救済こそ最大の政策であるに
もかかわらず、経済効果と、効率主義にのみ目を奪われ、月日とともに災害の教訓
を形骸化し、繰り返し発生する多種多様な災害に教訓を生かし切れず、いたずらに
国費を浪費するばかりであった。むしろ、いつの場合でも、災害復旧に名を借りた
建設工事等の予算が、談合体質の中で大企業に分配され、国民の税金が弱者に使わ
れず、企業の利益を保証してきた。一年も経過すれば、マスコミの世論操作と見ま
がうばかりの放送体質と相まって、国民の関心も希薄となり「災害は忘れた頃にや
ってくる」のことわざが、まるで科学的な真実のように人々の脳裏に焼き付き、無
常観ともいえる無関心層をを拡大させてきた。
 災害科学に携わってきた者にとって最大の研究課題は、災害対策の論議で必ずだ
される天災論と人災論、また、対策論では数値主義と総合論があり、この両者の議
論が今日、未だに克服されていないことである。また、縦割り行政、孤立主義的な
学会、利益誘導型の国会議員等が、横断的行政、学際的研究、国民主権と憲法で保
証されているはずの基本的人権の保証、とりわけ、生存権が脅かされる災害対策の
強化に障害となり、災害科学の研究がおろそかにさえてきた。
 環境問題に対しては、様々な立場と多くの科学者が研究を展開し、今日隆盛を見
ているが、公害問題と同様に、民間企業が直接の原因であるところから、直接国家
権力に対抗するものではなく、比較的誰でも研究活動に参加できるという側面があ
る。ところが、災害問題は対策も復旧活動も、さらに事後の施策もすべて行政、と
りわけ建設省、通産省、大蔵省、自治省等が国家予算を支出することで行われるた
め、災害にかかわるすべての取り組みや研究は、行政の傘の元でしか行え得ず、国
民の側で国民の生命と財産を守る行動をとることは至難である。まして、学問研究
として行おうとすれば、相当の研究資金と研究施設が必要であり、どうしても文教
予算中の科学研究補助金が唯一の頼みである。国の政策に対抗することなしに、災
害科学の研究は展開できないことは、これまでの災害被害者の組織が裁判闘争を提
起していることからも自明である。
理工学分野では、災害発生のメカニックを解明する点で相当な研究がなされてい
る。けれども、それらを災害対策に生かしているとは言い難い現状である。水害に
例を取れば、毎年のように起き、被災額も相当な金額になっていても、繰り返され
ているのは、科学技術のレベルに比し、災害科学としてのレベルアップがおざなり
にされてきたことに原因がある。また、水害の直撃を受けるのは、常に低地に居住
する庶民であり、高台に住む高収入の層は一度も被災していないという事実は、憲
法のもとで、すべての国民の生命と財産を平等に保証する、という原則が守られて
いない証である。水の流れは高地から低地へということは自明であり、低地にかけ
る対策がもっとも大切である。降雨時に水のエネルギーを弱め一時的に海へ素早く
排水するための技術、例えば遊水池の建設や雨水用の下水道など、が確立されてい
るが、庶民の生活圏にはいっこうに生かされていない。
 社会体制の分野でも、同様である。阪神・淡路大震災の直後と半年後も現地調査
を比較してみると、全壊家屋の撤去について顕著なことは、旧家で土地面積も廣く
高額所得者のものほど公共の費用で素早く実施されたが、それらの対極にあるもの
については放置されたままになっていた。これは、自治体の姿勢の問題であろうが
、強者を大切にするものとして指摘せねばならない。
 災害予知については津波、台風、火山爆発、山地崩落などではある程度の成果を
上げてはいるが、地震については全くのところ成果を上げていない。
基礎と概論では、70年代の災害記録と問題点を学び、20年を経過した中でど
のような取り組みがなされたかを歴史的に検証する。そして、この種の学問的研究
の世界における現状をインターネットで検索し、日本との比較検討をする。
(2)災害研究の視点
1、天災論と人災論

 人智を超えた未曾有の天災だから、あきらめるより仕方がない、・・・という意
見がよく流されている。また、あらかじめ災害の規模により各種の対策を講じてい
たのだから、被害の内容の一部でも救済できるはずであり、人災の側面も無視でき
ないと主張する人々もいる。これら両者の主張が、災害発生の直後から、対決の様
相を示しながら繰り広げられている。
 天災論は主として行政に関わる役人の主張であり、人災論は被害者を救済しよう
とする科学者・技術者及び弁護士の主張である。互いの立場を擁護しようとするた
め、主張が真っ向から対立し、時には裁判闘争にまで発展してしまう。

 阪神・淡路大震災では、震度6の震災対策基準であったから、震度7ではどうし
ようもない、と一般に受け入れられたかのごとく行政が主張し、全国からの義援金
にたよるばかりで、公金の支出を渋ってきた。
 私たちは、災害の基本的視点として、これらの論議をどう把握すべきであろうか
。そして、どちらの立場に立たなければならないのだろうか。
2、因果関係論と疫学的研究
 災害の原因と結果は実証的研究の対象であるが、現実は、様々な論法が持ち出さ
れ、国民の認識を本質からそらせることが、まかり通っている。一例を挙げれば、
地下深くで断層がずれ地震波が伝搬するが、どのような機序で貴方のお宅を破壊し
たか、貴方が立証しない限り行政には責任の取りようがない、という驚くべき議論
が持ち出される。
 被害者にとって、原因と経過が問題ではなく、あくまでも、家屋の全壊という現
実こそ最大の問題である。被害者の立場に立てば、被災地域を面的で疫学的な調査
と分析をし、早期に被害状況の把握を行い、救済策を立て、行政に迫らなければな
らない。
3、縦割り研究手法と学際的研究
4、数値主義と総合主義
5、経済効果優先と生命・財産優先
6、強者と弱者
(3)ケーススタディー ・・・ 災害・公害対策の事例 ・・・ 
1、水害対策 「ーー伊勢市七夕水害ーー」
  ・・・・ 勢田川流域の総合治水をめざして ・・・・
 1974年7月7日の伊勢市水害は七夕水害と呼ばれ、日雨量 540ミリで、人への被
害がなかったが、床上浸水3041戸、床下浸水1万戸以上にのぼり、鉄砲水の例えど
うりあっという間に浸水し、4時間ほどで水が引いた。大部分の浸水家屋では、商
品、家財道具、畳など持ち上げる暇もなく、下水道が建設されていないため汚物ま
みれの汚水につかり、その被害は莫大なものとなった。
 筆者も浸水の被害を受けたが、その翌日から、水害の原因とその対策を研究する
ため、瀬田川の流域のすべの調査を開始した。また、国や県・市の対策が発表され
るまでの2年間を費やして、全国の同種水害常習地域を巡り、都市内を流れ、しか
もドブ川化した典型的な都市河川の氾濫の実体を把握し、その水害の対策方法を学
び、民主的な治水対策の原案を策定した。国の案が、1996年7月21日に発表された
が、246棟の民家を立ち退かせる河道拡幅案であったため、当然のごとく反対の運
動が起こった。
 それと同時期に、筆者が提起していた総合治水案に関心が集まり、瀬田川対策市
民の会が発足した。住民のくらしを守り育てる、住民参加の、瀬田川流域の総合治
水を目指した運動は、科学的住民運動の形態をとり、大きく発展した。その成果が
小冊子にまとめられ、1978年8月に発刊された。以下は、その冊子で解説する。
「勢田川流域の総合治水をめざして」水害対策電子ブック

2、建築物の震災対策に関する研究
  ・・・・ 直下型地震の建築物対策 ・・・・
 ** 建築構造の変遷(工学的研究の一例)
  1 支床構造
  2 剛構造
  3 柔構造
  4 耐震構造
  5 免震構造
  6 浮体構造
  7 免災構造
** 木造か、軽量鉄骨かの対処療法
** 地震と震災を学際的に研究することとは
3,忍び寄る公害「超低周波空気振動公害」の対策
・・・ 高速道路高架橋が発生源であった ・・
超低周波空気振動公害の対策
 奈良県香芝町を通過する西名阪自動車道路問題の調査・研究における視点を解説
する。その後、医学、工学及び法学に携わる科学者が、学際的な研究を展開し、疫
学的手法によって行われた調査活動の成果について、この問題にどのような貢献を
したか、考えてみる。
 医学的データを工学的な調査結果で補って得られた成果が、裁判の公判にどう影
響したか、また、議論されたことと、科学的な知見が何であったかを考えてみる。
 また、論争の内容が物理学・工学上の新しい内容であったがために、長期にわた
る研究が強いられ、特に、超大型計算機の活用が重要な意味を持っていたことが、
情報化社会到来直前の社会現象として、考察しておく必要がある。
4,崩落災害 ・・・鹿児島県出水土石流災害・・・(各自の研究)
鹿児島県出水土石流災害の写真集
(4)災害列島日本の今後は
 ここ数年でも、各種の災害が発生した。国民大多数の気持ちと遊離した行政の振
る舞いは、この国の将来に暗い陰とあきらめの意識を蔓延させてきた。この責任は
、今後、問われるであろうが、国民が、いつまでも役人だけに任せられないという
、気風を育て始めていることも事実である。それは、若者に顕著である。 国民は
、これまでの暗い世相から、目をそむけてきたが、21世紀を前にして大きな変化
を求め始めている。それは、科学技術を国民本位に役立てることなくして実現でき
ないことであり、その点で学生に期待する主張が多く出され始めている。災害は諸
君の身近に発生する。現実を直視することから始めよう。